「木瓜原(ぼけはら)遺跡から見えてくる激動の倭国(日本)の7世紀」と題して立命館大学びわこキャンパスで講座を持たせていただきました。



ArrowArrow
Slider

当研究所の近くにある木瓜原遺跡は製鉄.製陶を含む立体的な複合遺跡で、1990年(平成2年)~1995年、開学に伴う遺跡調査の後、製鉄遺跡のみが学内のクインスタジアム地下に眠っています。一般大学生向けではなく、立命大父母教育後援会主宰で「アカデミックウオッチング、秋の京都・滋賀で学ぶ&旅をする」という全国の在校生や卒業生の父母対象企画で、歴史的背景から解説させていただきました。

木瓜原遺跡が稼動していた7世紀中頃から8世紀初頭の中国大陸(唐)や朝鮮半島(新羅.百済.高句麗)状況。白村江の戦いでの大敗、大津京遷都、壬申の乱。倭国から日本(国号)への律令整備のなかで木瓜原遺跡を含む瀬田丘陵遺跡群の成立と役割が見えてきます。

今回の講座は90分の製鉄炉跡見学を含む「木瓜原遺跡を形成させた倭国から日本へ変わっていく7世紀」「壬申の乱と木瓜原遺跡を含む瀬田丘陵遺跡群について」の大学内講座、移動をして当研究所での製陶体験60分というハードスケジュウルでした。事務局から参加者アンケート、好評でしたのこと。

古琵琶湖層(瀬田シルト)、という粘土が磁鉄鉱は近辺に産しないにしても、遺跡群の製鉄や製陶を可能にしました。現在の当研究所も陶土として草津市第1期指定ブランド「草津焼」の主原料として用いています。

大学内地下遺跡、という恵まれた環境の遺跡ですが学生も草津市民も、知る人は知る、程度の認知度の遺跡。調査後から20年以上たち、遺構上の埃が目立つようになりました。この遺跡は他の部分と連動することで、観光や産業や歴史学習の部分を担える価値があるものと思っています。今いちど、文化財活用のための管理や運営体制など論議する場が必要です。